A progressive Story #01
やわらかな技術と感性で
1000年後にも残る建築を
―――久住有生
動画を見る

左官とは、土や石灰に自然の素材を独自に調合し、鏝という道具をつかって壁や床を塗る仕事のこと。世界中にプリミティブな土の建築があるように、日本も縄文時代から土の住まいがあったが、奈良時代には宮中の記録に「左官」が登場するなど、職人による仕事として時代とともに洗練されてきた。そのように脈々と続く世界で、今注目されている職人のひとりが久住有生氏だ。兵庫県淡路島に生まれ、物心ついたころには名工である父に鏝を持たされ、小学校に上がると壁を塗ることができたという久住氏は、「1000年後まで残る壁もある」という父の言葉に惹かれて職人になることを決意。以来、人が長く大切にしていきたいと思う壁を、技術と感性の両面を研ぎ澄ませることで追求してきた。

久住有生
Innovator’s Profile
久住 有生(くすみ なおき)

1972年兵庫県淡路島生まれ。祖父・父から続く左官職人の家に育ち、3歳から鏝を握る。高校3年生の夏にスペインでガウディのサグラダ・ファミリアを見て、建築と左官の仕事の素晴らしさに触れ、左官職人の道へ進むことを決意。日本各地の親方の元で修業し、施工経験を詰む。2009年「左官株式会社」設立。現在、歴史的建造物の修復から民家、商業空間、個人邸まで幅広く手がける。設計やデザインの企画段階から参加し、独自の左官壁を提案することが多い。2016年末には国連日本加盟60周年記念インスタレーションをNYの国連本部で制作するなど、国内外で積極的に制作。技術伝達の活動にも力を入れる。

但馬の国をテーマとした壁に貝殻をランダムに埋める久住氏
但馬の国をテーマとした壁に貝殻をランダムに埋める久住氏。配置のバランスは現場での即興。

先人の仕事から考えた 歴史の一部に続くこと

父の元での見習い後、若くして独立。住宅を建てるのにも1年、2年かけるのは当たり前という普請道楽の淡路島の土地柄もあり、地元の仕事を順調に糧にしていった。その後旅先で各地の優れた左官仕事に触れた久住氏は「自分にはまだまだ足りないところがある」いう思いに駆られて、京都の伝統建築を手がける大工の親方の元で修業をすることにした。

「京都時代に塗った壁は、100枚あったらその100枚の壁がどんな現場でどんな素材を使って、どのように仕上がったかを今でも覚えているくらい。それほど濃密な修業期間でした。例えばお茶室の壁は土と藁と山砂が素材ですが、藁ならうちわで煽って1メートル先に飛んだ細かいものだけ使うなど、すべてにおいてきめの細かい仕事でした。現場では早くきれいに仕事をするだけではなく、建物を汚さないよう周囲に気を配るなど、職人とはこうあるべきという姿も学んだと思います」

「とにかく日本一の職人になりたかった当初は、腕だけ磨けばなんとかなるだろうと思っていました。でも特にお茶室の仕事を通じて、壁は塗る技術だけでなく、自然と建物の関係性から感じてつくることが大切だと気付いたんです。また、何百年もたった建物の修復工事で壁を剥がしながらたくさんの先人の仕事に触れることで、人間ってがんばったら、自然の美しさにも勝るような、ものすごくええもんつくれるんやな、と感じたことは大きかった。いろいろな職人たちが技術を継承してきて、ひとりひとりがその時代にちょっとずつ良くしていこう、いいものを残そうと思って進んできた結果が今ある。そして自分もそうありたい、その継承の歴史の一部になりたいと思ったんです。一生がんばって、良いものをつくっていきたい、と」

白いシャツを着て黙々と仕上げを進める久住氏
白いシャツを着て黙々と仕上げを進める久住氏。作業着を汚さず仕事する流儀を身につけたのも京都の修業時代だ。
海を思わせる摂津の壁 ポートピアアイランドから六甲山方面を望む
海を思わせる摂津の壁。自然から受けるインスピレーションを大切にしている。ポートピアアイランドから六甲山方面を望む。
淡路島のアトリエに収納している壁のサンプルを取り出す久住氏
淡路島のアトリエに収納している壁のサンプルを取り出す久住氏。土や漆喰など素材や仕上げの異なる約3000枚ものサンプルが揃う。

風土や自然から受け取る美を映す
やわらかい土の壁

その後大学の建築学科で教鞭をとっている建築家と出会い、ワークショップや海外の大学での研究の場に呼ばれるようになった久住氏。ワークショップでは風土から感じてつくる左官壁の魅力や楽しさを、そして海外の職人や研究者との交流では、日本の左官職人の技術力の高さや仕事の美しさを再認識したという。職人の領域で活動するだけでは得られない視野の広さを持つと同時に、現場も淡路島だけでなく全国に、そして仕事の幅も広がっていった。

「職人は工務店さんからの依頼で仕事をすることが多いけど、今自分が受けている仕事は、お施主さんや設計者、デザイナーから直接依頼がくるケースがほとんど。僕の壁を全国のどこかで見てくれて、きれいやなと思って連絡をくれる方が多い。今回の神戸のレストランGOCOCUの壁もデザイナーさんから直接ご連絡いただきました。播磨・摂津・丹波・但馬・淡路の兵庫五国をテーマに装飾壁をエントランスや個室などにつくったのですが、デザイナーや施主それぞれの各地のイメージをヒアリングして、サンプルの壁を制作して提案しました。例えば「淡路」の壁は、国生みの物語の地なので、淡路の土で左右の表情を変えてイザナギとイザナミを表現しています。日本海側に面した国、「但馬」の壁は、砂浜の砂紋、波、花が散っている様子など、見る人によってさまざまに思い浮かべられるような風景をつくり、目に見えない風を表現しました」

「最近は国内外のギャラリーなど、アートの仕事をしている方からも声をかけていただくようになりました。職人とアートの仕事の区別は難しいですが、ここで自分が大切にしたいのは、自分自身の自由な発想よりも、やわらかい土の存在感を大切にしたい、という多くの人の感覚。例えば、海外で仕事をした時に感じた強い日差しや乾いた感じとか、土の色とか、現場の自然そのものから感じたことを壁で表現していこうと思っています」

目の前に穏やかな瀬戸内海が広がるアトリエ
目の前に穏やかな瀬戸内海が広がるアトリエ。自然に近い場所だから、土壁のデザインを無理なく考えられる。
現場でもアトリエでも常に鏝はじめ道具をきれいに扱う 次の現場の素材の調合や準備を念入りに
現場でもアトリエでも常に鏝はじめ道具をきれいに扱う。次の現場の素材の調合や準備を念入りにし、各地の現場へ旅立つ。

左官がつくる土の壁が未来の社会にもたらすこと

何十年後か何百年後に残っている自分の壁を見た人に、“あ、この人すごいな、この仕事勉強したいな”と思ってもらいたい。だからそういう仕上がりでないと感じたら塗り直しをするという久住氏。そこには譲れないものがあるからだ。

「土もそうですが、木造建築は手を入れ続けて大事に使えば100年、200年は当たり前にもつんです。大切なのは“ずっと残したい”という人の思い。いいものをつくれば、つくった職人の思いは必ず伝わるはず。硬いコンクリートでも、思いがそこになければ建築は残らない。大事にものをつくればやわらかい土でも長く残る。テクノロジーの集積である車でも時計でも、感動するものや長く続くものには、大切にしたいと思わせる何か、つまりつくった人の思いが込められているのではないでしょうか」

「左官の技術っておそらく江戸時代から変わっていないし、僕は今身ひとつでアフリカに行ったとしても壁を塗ることができる。そのような人間の身体性があってこそ、左官の仕事にも新しい可能性が生まれるのだと思います。また、効率や表層的な仕上げが多くなった現代でも、左官だったらほんものの素材を使い続けることができる。数年前に東京の公立小学校に淡路の土を使って大きな大きな左官壁をつくったのですが、校長先生が僕の思いを説明してくれたので、子どもは怪我もしないし傷もつけず大事にしてくれている。大きな自信になりました。クレームを気にして無難な素材で収めたり、10年経ったらつくり直せばいいという考えでは人は育ちにくい。人間は自然の一部ですし、自然のもの、ほんものに触れて、感じることが大切。そのような場を左官の技術で微力ながら増やすことができたら、と思います」

協力:左官株式会社/神戸ポートピアホテル「GOCOCU」

動画
Share
  • Facebook
  • Twitter
閉じる