#FutureIsAnAttitude

Interview:Enrico Isamu Oyama

今回アウディ最高峰の電気自動車
Audi e-tron GTとのコラボレーションで、
スピード感あふれる新作《FFIGURATI #341》を
制作した美術家・大山エンリコイサム氏に
アートワークが生まれた背景や、制作プロセス、
そしてエアロゾル・ライティングを
軸に
表現の幅を広げ続けるご自身の制作への
姿勢などを聞きました。

Enrico Isamu Oyama in his Brooklyn studio, 2018
Photo ©︎ Collin Hughes

今回のコラボレーションで制作された《FFIGURATI#341》は、中村キース・ヘリング美術館で発表されたご自身の過去作品を元に新しく作られています。独自のモチーフである「クイックターン・ストラクチャー」を元にリミックスされた、このアートワークの制作プロセスを教えてもらえますか?

大山:今回、日本現代美術商協会(CADAN)加盟ギャラリーの所属作家による展覧会がAudiのサポートにより六本木ヒルズで開催されています。私は屋内の展覧会には過去の絵画作品を出していますが、それとは別に本企画用に新しい作品《FFIGURATI #341》を制作し、会場エントランスとなっている特設ブースの巨大壁面に出力展示しました。加えてエントランス横に設置されているAudi e-tron GTのコラボカーには、同作のヴィジュアルが展開され、さらにヒルズ内各所に配置された展覧会の広告にも同じヴィジュアルが使われています。このようにフォーマットの異なる複数のメディアを横断するヴィジュアルになりましたが、唯一それを純粋に作品として提示したのは特設ブースの巨大壁面で、ここだけ《FFIGURATI #341》と作品タイトルがついています。

当初から、非常に横に長いこの壁面を制作の起点に考えていました。さらに自動車との関連性も踏まえ、水平方向に疾走する動きのあるヴィジュアルが必要だと感じたのです。中村キース・ヘリング美術館での個展「VIRAL」(2019~ 2020年)のために制作した壁画作品《FFIGURATI #263》(2019年)は、私の過去作品のなかでも今回求められている条件を満たしており、《#263》をリミックスすることで新しい作品を生み出すことを思いつきました。正確には《#263》に使用された「クイックターン・ストラクチャー」を用いて新しい作品である《FFIGURATI#341》を作り出すプロセスでした。

Audi e-tron GTのデザインや造形について、大山さんはどのように理解し、何を感じられたのでしょうか?

大山:新しい時代の車という印象がありました。スピード感やエレガンスはもちろんですが、電気自動車であることが与えるサステイナブルな側面が、造形にも反映されていると感じられました。「速い」のですが、空気を切り裂くようなアグレッシブさや鋭さよりも、空気と共存するような柔らかさや優しさがある気がします。

躍動感あふれ、「クイックターン・ストラクチャー」が溶けていくような流動的なイメージが印象的ですが、どのようなコンセプトで作られたのでしょうか?また動きや躍動感はご自身の制作の上でも大切にしていますか?

大山:《FFIGURATI #341》の制作過程では、自律性を大切にしつつ、Audi e-tron GTから触発された側面もあります。自動車というモティーフ全般に通じる要素として「疾走感」がありますが、とくにAudi e-tron GTは電気自動車なので、ただの疾走感ではなく、言わば「電子的疾走感」とでも呼びうる世界観を作り出したいと思っていました。

電子や電気の流れは、ケーブルのようなチューブ型の空間の内部に生起しているイメージがあるので、今回の作品はそうした電子の流れるマイクロチューブ的な時空を「クイックターン・ストラクチャー」が駆け抜けている状態を想像しながら制作しました。
動きや躍動感は私の普段の制作でも重要なエレメントですが、それはどちらかというと絵をかくときのパフォーマティブな身体と結びつくもので、今回はまた別の意味での躍動感に挑戦したかたちとなります。

今回の作品《FFIGURATI #341》の元になっている中村キース・ヘリング美術館で発表された作品では、キース・ヘリング(1958~ 1990年)が東京に滞在した際の記録写真の上に、「クイックターン・ストラクチャー」を施されています。ニューヨークを拠点にした彼と、同じく拠点にされている大山さん、二人の痕跡が日本の美術館で交差するユニークな作品ですが、この作品が生まれた背景をうかがえますか?

大山:中村キース・ヘリング美術館での個展「VIRAL」(2019~ 2020年)で発表した《FFIGURATI #263》(2019年)は、同館内で「自由の回廊」と呼ばれる通路エリアに設置され、現在もそこに常設展示されています。同館はもともとヘリング作品のみを蒐集・研究・展示する施設でしたが、数年前に増築した新スペースではヘリングとの関連性を見出せる他作家の企画展も開催しています。「自由の回廊」はちょうど、ヘリング作品の常設展示スペースと、「VIRAL」展も行なわれた企画展スペースを結ぶ位置にあるのです。常設展でヘリング作品を見た後に、企画展で他作家を見るという鑑賞の流れのつなぎの部分に《FFIGURATI#263》があるということです。

当時は企画展スペースで私の個展が行なわれていたので、ヘリングの姿を写したフォトコラージュと「クイックターン・ストラクチャー」が融合する《#263》は、ヘリング作品の鑑賞を終えて、次に私の作品の鑑賞へと向かう来館者にとって、ふたつの異なる作品世界を橋渡しする効果があったと言えます。

「 クイックターン・ストラクチャー」は一見無機質でありながらも、細部を見るととても有機的で、反復されることで枠から飛び出し、空間へと侵食していくようにも感じます。今回、六本木という場所でこのアートワークが飾られますが、東京そして六本木という場所に対して、ご自身はどのように反応しましたか?もしくは都市が作品に与える影響について伺えればと思います。

大山:私の作品は、生まれ育った土地である東京の都市空間から大きく影響されています。私にとって東京の重要な視覚的エレメントは、地下鉄や高速道路に代表される入り組んだ交通ネットワークの空間です。それは地図や路線図などで俯瞰するときの印象だけでなく、首都高ジャンクションに象徴される、ビルの狭間を道路や線路が複雑に絡み合いながら駆け抜けていく具体的なランドスケープとしての印象も含みます。こうした私にとっての東京の心象風景は、20代前半の頃、夜中に渋谷や青山などの都心部を歩いて複数のクラブをハシゴしていた時期に形成されました。

その風景は「クイックターン・ストラクチャー」の線と線が立体的に交差する造形にもエコーしているのです。それは無機質なコンクリートジャングルであると同時に、空間に有機的に侵食していく毛細血管のようでもあります。六本木について言えば、街の中心を水平に走る首都高があり、六本木ヒルズのような垂直に伸びる複合型の高層ビルがあり、また芋洗坂のような傾斜のついた自然の空間もあり、さらには日比谷線や東京でも屈指の深さである大江戸線など複数の路線が乗り入れる地下鉄の駅もあり、東京の交錯したインフラ空間を圧縮したような街だと考えています。

大山さんはストリートから発生したエアロゾル・ライティング(グラフィティ)文化の視覚言語から影響を受け、自身の代名詞である「クイックターン・ストラクチャー」を軸に、独自の美術表現へと落とし込んでこられています。ストリートと美術の境界を横断する作品を制作するにあたって、いつも心掛けていることはありますか? またストリートでかかれていたグラフィティをキャンバスなどの別のメディアへと落とし込む難しさはありますか?

大山:ストリート文化とは、文字通りに解釈すると「路上」の文化であり、キャンバスや美術館などの制度的空間と対立的に捉えられがちで、その結果、ある種の二項対立の図式に陥りやすい側面があります。ですが私の考えでは、ストリート文化、とくにエアロゾル・ライティングのエッセンスは「路上」ではなく「横断」です。それが都市を横断する地下鉄にかかれたのはそのためで、それは対立的に構築された境界線を越えていくことを本質とします。そして横断とは、単一の場やメディアに根を下ろすのではなく、複数の場やメディアとテンポラリーな関係を結ぶことです。一般的なエアロゾル・ライティングはしかし、個人の「名前」をかくという本性によって、その横断にある種の暴力性(器物損壊などの法令違反だけではなく、意味の次元における暴力性)が織り込まれています。

「クイックターン・ストラクチャー」は名前をかくことを放棄し、純粋な線の運動に還元されることで新しい抽象表現に落とし込まれているため、意味の中性を獲得しており、それがより円滑な「横断」を実現します。
それは純粋に造形的な横断なのです。ご質問にお答えするなら、私にとって重要なのは、グラフィティをキャンバスなどの別のメディアへと落とし込む難しさというよりも、「クイックターン・ストラクチャー」をツールにさまざまな空間を横断していくことの可能性ということになります。私にとって、美術やストリートといった領域およびそれに基づくコミュニティを横断すること、キャンバスや壁画、パフォーマンスなどの芸術形式を横断することはすべて、それら横断対象と自分のあいだに「クイックターン・ストラクチャー」という表現のレイヤーを敷くことで可能になります。それは私という個人が話す言語と、私以外の全世界が話す言語との対話を可能にする翻訳機または通信機のようなものかもしれません。

高校生の頃からエアロゾル・ライティングに興味を持ったのをきっかけに、現在は絵画のほか、立体やサウンドインスタレーションなど、複数のメディアを横断されています。キャリアを通して、ご自身の中でストリートあるいはストリートアートに対する考え方、アプローチに変化はありましたか?

大山:キャリアの変遷という意味では、私は自分のこれまでの活動を大きく3つの時期に分けて捉えています。独学で制作を開始してクラブなどでライブペインティングをしていた2003~2007年頃までと、東京芸大の大学院に入学して現代美術や美術批評に本格的に触れた2007~2011年頃まで、そしてアジアン・カルチュラル・カウンシルの招聘でニューヨークに渡った2011年からコロナで日本に一時帰国した2020年までの時期です。これら3つの時期において、美術、ストリート、東京、ニューヨークなどについての知識や経験が自分のなかで段階的に蓄積されていき、その都度アップデートされ続けています。

日常生活においてストリートを駆け抜けるクルマは、大山さんにとってどんな存在でしょうか?ご自身の制作とのつながりを感じる部分はありますか?

大山:すでにスピード感、速度の概念については触れましたが、それは走っている自動車を外部から見るだけでも成立することです。ですがより重要なのは「ドライブ感」ではないでしょうか。それは観察者ではなく実践者の感覚であり、視覚に限定されない、より身体的な位相に生起する感覚です。私はライブペインティングで腕を大きく振り抜いて線をかくとき、ある種のダイナミズム、身体の内側をエネルギーが駆け抜けるようなドライブ感を感じることがあります。
ドライブという言葉から連想されるように、それは稼働するクルマに乗っているときの通常とは異なる身体感覚、ある種の浮遊や疾走の感覚に結びついていると思います。グルーブ感という言葉にも近いものがありますが、それは身体の感覚が個体の次元を超えて、より大きな運動のダイナミズムに組み込まれている際の感覚だろうと思います。

Audi e-tron GTは電気自動車です。来るべきサステイナブルな未来と、ご自身の作品との関わりについてどう考えられていますでしょうか?

大山:サステナビリティは「持続可能性」と翻訳されます。一般的には気候変動や廃棄プラスチック問題など地球環境をめぐるイシューとして想像されがちですが、国連が提唱するSDGsが掲げるのは、労働条件の改善や教育機会の均等化、ジェンダー平等など、自然と人間社会の両方を含む、より包括的な世界全体の是正、持続可能性の探求です。こうしたことはすべて、双方向・多方向に複雑に絡み合い、循環しています。私の芸術表現はSDGs的な意味での「持続可能性」を直接的なテーマにするものではありませんが、森羅万象のスケールフリーな循環という抽象的なイメージにおいて、SDGsの取り組みと共鳴する側面はあると捉えています。

現在はニューヨークと日本の両方で活動されているということですが、再び日本を拠点にされたこと、あるいは2拠点にされたことで、ご自身の制作に何か変化や影響はありましたか?また今後の展開や活動、あるいはチャレンジしていきたいことがあれば教えてください。

大山:私の場合、生活することと制作することは密接に結びついています。それは場所によって作品が変わるということではありません。うまく言えませんが、どういう生活リズムのなかでスタジオに向かい、制作をするのか、どういう時間が流れ、どういう土地にスタジオがあるのかといった、作品の外部を取り巻くエレメントについてのような気がします。少なくともニューヨークと東京では、どこかしら自分のモードが異なるということですね。それはやはり、横断の概念とも結びついていると思います。
今後は、世界各地にある複数の制作拠点をネットワーク化し、そこにアーティストや物の循環するリズムをどう作り出していくかに関心があります。私の考えでは、現在アーティストの制作およびスタジオにはふたつのモデルがあります。それは単一の拠点に根を下ろして、作業をシステム化し巨大化していく一極集中的なファクトリー型と、世界各地のスタジオをショートタームで渡り歩く複数分散的なアーティスト・イン・レジデンス型です。